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フォレスト・ガンプ

この物語を知ったのは映画が先でした(映画はアメリカで1994年、日本では1995年公開、本はアメリカで1986年に初版、和訳は1994年初版)。

映画が公開された当時も、その後暫くも、ほとんど興味がなく、予告編やあらすじをきいても、一体何が面白いのか、なぜこの映画が数々の賞を受賞するのか、さっぱりわからないーーーそんな感じでした。

それから何年もして、なぜか興味が湧いてきて、ちゃんと映画を見たとき、なんともいえない感動がありました。あまりによかったので本も読んでみた、という具合です。

その間に自分に何が起きていたのかといえば、年齢を重ねる中で「人生って何が起こるかわからない、おもしろいものだな」ということを感じていたのだと思います。まさに、映画の中でフォレストが言ってくれているように。

“My mama always said, ‘Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.’”

主人公のフォレストは知能指数が人並みより低いという設定になっています。

そのフォレストが私たちに気づかせてくれるのは、ただ今を一生懸命に生きるということ。彼の人生はとんでもないことの連続なのですが、彼に訪れる様々な機会(良いものも、悪いものも)に逆らうことなく、ただそれぞれの瞬間を一生懸命生きている。それは自分の役割を全うすることだったり、誰かを喜ばせることだったり、自分の好きなことに没頭することだったり、自分の価値観に従った行動をすることだったり、誰かを愛することだったり。するとそこで発揮される力が誰かの目に止まって、また新しい世界に飛び込むことになる。フットボールのベストチームとして表彰されたり、戦地での働きが讃えられたり、ハーモニカの腕を買われてバンドに入ったり、宇宙飛行士や人気プロレスラーになったり、チェストーナメントに出たり、エビの事業で大儲けしたり。どれ一つとして予め狙っていたものはなく、目の前のことを我を忘れるほどにやっていた結果として人生が予想もしていなかった方向に転じていきます。

起こるのは良いことばかりではなく、大学を退学させられたり、無一文で放り出されたり、たいへんなことも良いことと同じくらい(あるいはそれ以上に)起こるのですが、フォレストの場合、いちいちそれを悲観していません。なんでこんなことになってしまったんだとか、この先どうやって生きていこうとか、そんなことは全く考えず、またゼロから人生を創っていっています。むしろ、普通の知能指数を持つ「賢い」はずの周囲の人間の方が、もうだめだと嘆いて諦めたり、思い込みにとらわれたり、自暴自棄になったりして、自ら自分の人生を壊していくのと対照的です。

また、彼の身にややこしいことが起こるときは、たいがいは、周囲の人間が彼の人並み外れた点を使って、勝利や成果、お金や名声を得ようとするところから始まります。フォレストはただ、ジェニーに会いたいだけ。ハーモニカを吹くことが好きなだけ。信頼できる人や動物と一緒にいるのが好きなだけ。けれど、彼よりも「賢い」はずの私たちは、「もっと」という欲に突き動かされて、いつのまにか本当に大事なものを見失ったり、本当に自分の心が喜ぶことをどこかに置き忘れてきてしまうことがあることにも気づかされます。

「賢い」私たちはとかく計画を立てたがり、人生を設計していくことを重要視しがちです。もちろんそれも大事なことであり、そうしているから安心して今日という日を過ごすことができるという面もあります。一方で、人生はなかなか思った通りにはいかないというのも、これまた真実。目標を立て、計画を立てるのだけれども、そこに執着せず今を生きるーーそんなしなやかさを身につけていきたいと思いますし、またそういう生き方が世間に当たり前として受け入れられると、この世の中は皆にとって生きやすく面白い世界になるのではないか、と感じたりします。

この物語が愛されるのは、きっと皆に、フォレストのように、自分の心に正直に、今という瞬間を存分に生きていきたいという願いがあるからなのだろうと思います。

なお、本書と映画との違いに触れておきますと、本の方がめちゃめちゃ度合が激しく、エピソードも多いです。映画ほど美しい光景ばかりでもないですが、映画と同じ感覚を持ちながら読むことができる内容と感じました(がっかりしたり、裏切られることがない)。映画が良かったので本も読みましたが、本を読むとまた映画も見たくなります。